①フルコンタクト空手は空手である
はい、そうですが。何か?
とまぁ、即答したい訳です。
以前YouTubeで見たんですが、
フルコンタクト空手は空手じゃない的なタイトルの動画がありまして。
確か、
組手試合で基本稽古のスタイルが生かされてないからって趣旨だったと思います。
えーと、
そんなん当たり前じゃないですか(笑)
基本稽古はあくまでも基本な訳です。
そして組手試合は応用の範囲内なので、違って当たり前です。
伝統派もそうですよ?
組手の立ち方は組手の立ち方として別個にあります。あれは単なる前屈立ちではありません。
そして試合にはルールがあります。
まあ伝統派にしろ、フルコンにしろ、
近代空手は試合で発展してきたという見方ができると思います。
そしてそれぞれの流派の戦い方は組手ルールに左右されます。
となると、そのルールそれぞれでいかに勝ち抜くかということをそれぞれの流派の方は考えます。
だって人間だから。
人間である以上、
それぞれの大会で勝ち抜ける様に、
物事の最適解を出すのは当然です。
そして、大会を勝ち抜くための最適解が道場の稽古になる。
空手は伝統派もフルコンも良くも悪くもそれを繰り返してきました。
その結果が今のそれぞれのファイトスタイルになっているだけです。
②流派という概念
更にいえば、
極真空手は松濤館流と剛柔流をベースに、
とにかく当ててKOするまでを追求するところからスタートしていますので、
まぁ、
伝統派の流れを汲む空手です。
極真から派生した空手も空手でいいのでは?
と思ったりします。
だって、流れはある訳ですから。
伝統派や沖縄空手からの流れがあり、
基本があり、型があり、組手があるのであれば、それは空手という事でいいのでは?
と思われます。
極真にも基本、型、組手と全てあります。
列記とした空手ですね。
③実は稽古の雰囲気が厳しいのは…
武道といえば、
礼儀作法。
稽古を共にやる仲間がいます。
空手では一般部と少年部に分かれていることが多く、別個、あるいは一緒に集団稽古を行います。
こういう稽古って、
厳しいのは伝統派だと思うじゃないですか。
実は、
僕の所属した道場で厳しかったのは
極真系でした。
道着を基本が一つ一つ終わる度に直しますし、
その度に
「素早く!」
とある種、発破をかけられました。
私語はもちろん禁止。
何となしに言いますが、
お寺みたいな感じです。
もっと言えば、
色々な道場を見ましたが、
そういう意味では伝統派が一番ゆるい。
というより、社会人として仕事するときみたいですね。
笑う人もいますけど、皆真剣。
顔はリラックスしていますが、
皆キビキビと動き、
稽古に励んでいます。
どっちがいいとかそういうのではなく、
フィットネス的なお喋りできる環境とかの要素は極真系にはなく、
皆、空手の技を真剣に学び、心身を練磨する稽古をしております。
こういう要素がある以上、
極真は紛れもなく、
空手であり、武道であると思います。
今回は以上です。
押忍。